世界にはさまざまなミステリースポットが存在する。有名どころで言うとバミューダ・トライアングルやストーンヘンジ等だろうか。そこには現代科学では正確に説明しかねる「何か」が存在しており、それが好事家達を惹きつけるのだ。
そしてそうしたミステリースポットが存在するのは、何も海外だけではない。我々が生活するここ日本においても、どうしても科学では説明できない出来事が発生するスポットが存在するのだ。
そしてその場所は日常の思わぬ場所からつながっている事が多い。にわかには信じられないかもしれないが、紛れも無い事実だ。
その証拠として、今回は生き証人たる私の経験を話そうと思う。長い間封印してきた記憶であり、思い出すのも忌まわしいのではあるが、これを目にした誰かの役に立てば幸いだ。
恐怖の異次元空間!ループし続ける電車
①2000年某日 京浜東北線
画像:wikipedia
その日は朝方まで横浜近辺で遊び、始発で帰路についた。
当時私は埼玉県の越谷市に住んでいた。横浜駅から京浜東北線に乗り、上野で日比谷線に乗り換える。そして北千住で東武伊勢崎線に乗り換えるという、およそ1時間半程度の道のりだ。長い道のりだが慣れっこなので苦ではない。
横浜駅のホームで待つこと数分、京浜東北線がやって来た。始発に近い時間帯ということもあり、座席に座っている人はほぼいない。私は最後尾の車両に乗り込み、端の席に座り壁にもたれかかった。
そして次の瞬間、電車は大宮駅に止まっていた。何が起きたのか理解できない。ついさっきまで横浜駅にいたはずなのに。急いで電車を降り、あたりを見渡す。
だが考えてみると、京浜東北線は大宮で折り返し運転を行う。そのまま乗っておけば必ず上野駅に止まるので、そこで乗り換えれば良いのである。一瞬戸惑ったものの、再度電車に乗り込み、先ほどまでと同じ座席に座った。
しかし次の瞬間、電車は大船駅に止まっていた。終点(始発)の駅である。冷や汗が止まらない。一瞬のうちに 40km も離れた場所に移動するなんてあり得ない。
とはいえ私も生来ののんびり屋であり、常日頃から慌てふためくような真似はしない。どうせ折り返し運転をするわけだし、またこの電車に乗れば今度こそ上野に到着するだろう。再度電車に乗り込み、先程までと同じ座席に座った。
しかし次の瞬間、電車は上野駅の2つ先、日暮里駅に止まっていた。何なんだ?何の力が働いているんだ?怖くなった私は急いでその電車を降り、別ホームから逆方面に向かう京浜東北線に乗り込んだ。その時の私には、これでやっと家に帰れるはずという安堵感しかなかった。
だが悪夢は終わらない。次の瞬間、電車は有楽町駅に止まっていたのだ。
この呪われた路線から解き放たれるためには、もはや京浜東北線から離れるべきである。私はすぐに山手線に乗り込んだ。
山手線はしっかり上野駅に停車し、私も何とか自宅へと帰ることができた。
最寄りの越谷駅に到着すると、もう日は高く昇っていた。駅のホームの時計を見ると、時計の針は12時を回っていた。
こうしておよそ6時間におよぶ異次元の世界での戦いは終わったのだ。
②2006年某日 銀座線
画像:wikipedia
その日は朝方まで渋谷近辺で遊び、始発で帰路についた。
この頃もまだ私は埼玉県の越谷市に住んでいた。渋谷駅から銀座線に乗り、上野で日比谷線に乗り換える。そして北千住で東武伊勢崎線に乗り換えるという、およそ1時間程度の道のりだ。少し長い道のりだが慣れっこなので苦ではない。
渋谷駅のホームで待つこと数分、銀座線がやって来た。始発に近い時間帯ということもあり、座席に座っている人はほぼいない。私は真ん中くらいの車両に乗り込み、端の席に座り壁にもたれかかった。一緒に遊んでいた親友も一緒だ。
そして次の瞬間、電車は浅草駅に止まっていた。何が起きたのか理解できない。ついさっきまで渋谷駅にいたはずなのに。急いで電車を降り、あたりを見渡す。
だがいくら見渡しても確かに浅草駅だ。階段を使い向かいのホームへ移動し、2人で再び銀座線に乗り込んで空いている座席に腰掛けた。
しかし次の瞬間、電車は渋谷駅に止まっていた。事もあろうに、一瞬のうちに元の場所に戻ってきてしまっているのだ。冷や汗が止まらない。
とはいえ私も親友も生来ののんびり屋であり、常日頃から慌てふためくような真似はしない。どうせ電車は動き続けるわけだし、また乗り換えれば今度こそ上野に到着するだろう。再度電車を乗り換え、再び座席に腰掛けた。
しかし次の瞬間、電車はまたもや浅草駅に止まっていた。何なんだ?何の力が働いているんだ?怖くなった私達は急いでその電車を降り、今度こそという願いを込めて向かいのホームから銀座線に乗り込んだ。
これでやっと家に帰れる。
だが悪夢は終わらない。次の瞬間、電車は銀座駅に止まっていたのだ。ちょうど渋谷と浅草の中間くらいである。震えが止まらない。
この呪われた路線から解き放たれるためには、もはや銀座線から離れるべきである。私達はすぐに銀座線から降り、少し歩いて有楽町駅へと向かって山手線に乗り込んだ。
山手線はしっかり上野駅に停車し、私も友人も何とか自宅へと帰ることができた。
最寄りの越谷駅に到着すると、もう日は高く昇っていた。駅のホームの時計を見ると、時計の針は12時を回っていた。
こうしておよそ6時間におよぶ異次元の世界での戦いは終わったのだ。
③1997年某日 東北本線(現在は IGR いわて銀河鉄道)
画像:wikipedia
その日は朝まで地元の盛岡駅近辺で遊び、始発で帰路についた。
私の実家は盛岡駅から電車で数駅、10分程度の場所にある。タクシーを使っても大した金額にはならない距離ではあるが、その日は電車で帰ることにした。
盛岡駅のホームで待つこと数分、東北本線がやって来た。始発に近い時間帯ということもあり、座席に座っている人はほぼいない。私は先頭車両に車両に乗り込み、ボックス座席に座った。
そして次の瞬間、電車は見慣れぬ景色の駅に停車していた。こんな景色見たことがない。まさか本当に銀河鉄道に乗り込んでしまったのだろうか。
高まる動悸を抑えつつ窓の外を見ると、「ようこそ青森へ」と書かれた看板が視界に飛び込んできた。何が起きたのか理解できない。ついさっきまで盛岡駅にいたはずなのに。
急いで電車を降りる。やはり一度も見たことのない景色だ。
動物的な直感が働く。これはまずい。
その駅が何駅だったのかはまったく覚えていない。しかし乗ってきた電車とは逆方面に向かう電車に乗れば、普通に考えれば盛岡駅へと戻るはずだ。そうして私は別の電車へと乗り込み、座席に座った。
しかし次の瞬間、電車はまたも見知らぬ景色の駅に停車していた。こんな景色見たことがない。まさかまた銀河鉄道に乗り込んでしまったのだろうか。
滴り落ちる冷や汗をぬぐいながら窓の外を見ると、「JA あきた」と書かれた看板が視界に飛び込んできた。
まさか。どう考えてもあり得ない。一瞬のうちに盛岡(岩手)から青森、そして秋田へと移動してしまったのだ。
混濁する意識の中、決死の覚悟で周囲にいた初老の紳士に「この電車はどこ行きですか?」と尋ねた。彼は人間なのか?そんなことはどうでもいい。もはや何が起きても驚かない覚悟はあった。
紳士は一言、こう答えた。「盛岡行きだよ」と。
そうして電車は盛岡駅に到着した。私は再び東北本線に乗り換え帰路についたが、その後は何も起こることはなく、無事に自宅に帰ることができた。
自宅に戻ると時計の針は昼の2時を回っていた。
こうしておよそ9時間におよぶ異次元の世界での戦いは終わったのだ。
異次元の世界に迷い込まないために
これが嘘偽りのない私の経験である。どうだろう、ありふれた日常のすぐ傍に異次元空間への入口があるということがお分かりいただけただろうか。
幸い精神に異常をきたすことは無かったものの、すでに私はキャリア(経験者/感染者)である。いつまた何時、この異次元空間に足を踏み入れるかもしれない。
その時が二度と来ないことを願いつつ、筆を置くことにする。
最後に、酒はほどほどにしておいた方がいいと忠告しておこう。
では再見。
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