狩るつもりが気がついたら狩られる側になっていたおバカな20代前半時代

 

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男にはやらなければいけない時がある。たとえ罠だと分かっていても、その先にあるものが後悔の二文字しかなかったとしても、時には知らぬふりをして突き進むことがあるのだ。

つまり男とは「後悔すれども反省せず」という生き物であると言える。

 

ー あれは確か20代前半の頃の話だ。

20代前半の男性はバカな生き物である。金はなくとも自由を謳歌し、後先を考えずに刹那的な楽しさを再優先に追求する。そのため他人に迷惑をかけることもしばしば発生する。

そして当時の私も類に漏れず、バカな生き物だった。

ピエロ

21歳か22歳の頃だ。

地元盛岡の高校を卒業し都内の大学へ進学した私も、盆と正月は長い時で2週間程度実家で過ごすこともあった。決してひとり暮らしが寂しいわけではない。東京にも友達はたくさんいる。

しかし地元はやはり違うものだ。住み慣れた実家、遊び慣れた地元の街、久しぶりに会う友達。いつも不思議な高揚感があった。

 

今でこそ打ち明けられるが、その高揚感の裏にあるのは、都会人様が田舎に凱旋してやったぞという下衆な気持ちだった。東京の空気に慣れた自分にとっては、何もかもがスローに見え、何もかもが時代遅れに感じたからだ。

東京でしか買えない洋服を身にまとい、方言の欠片も発せずにスマートに街を練り歩く。俺らはイケてる。俺らは無敵だ。

今も盆や正月に帰省して盛岡の街をフラリと歩くと、そうした若者を目にすることもある。畳みジワが初々しいブランド T シャツを身にまとい、汚れひとつない話題のスニーカーを履いて街を闊歩する若者たち。微笑ましさすら感じる。

 

話を戻そう。

お盆休み期間のとある日、私と同様に帰省組の目黒(仮名)と夜の街に繰り出していた。人気ブランドの T シャツ、ヴィンテージジーンズ、人気のスニーカー、締めはクロムハーツのチェーンウォレットという当時の王道コーディネートだ。もちろんクロムハーツはリボ払いである。

実は目黒とはこの日街中で偶然に出会ったのだった。彼も関東の大学へ進学しており、高校卒業してから3~4年ぶりの再会ということもあり「よし飲もう」という流れになったのだ。

当初の目的はこのように単なる飲みだった。大通りから一本裏に入った居酒屋で、高校時代の思い出話や大学生活について語り合う楽しい時間が流れた。

お会計をして店を出た時には22時を過ぎていた。都合3時間ほど飲んでいたことになる。そんなに時間が経ったようには感じなかったが、楽しい時はあっという間に過ぎるものだ。

そうして2人で盛岡駅方面に歩き出した。

ウォーキング

盛岡の大通りを 100m ほど歩いただろうか。ふと目黒がこうつぶやいた。「ナンパでもする?」と。

22時は盛岡では終電間近の時間帯だ。それにも関わらず駅とは逆方面に歩いている女性たちが多い。これは可能性が高いはずだ ― それが彼の分析だった。

最初は彼の提案を一笑に付した。何をバカなことを言ってるんだ。もう帰るぞ、と。

だが目黒は本気だった。こんなに何かを待っている女性がいる。ぜったいに成功するはずだ。俺に任せろ、と。

 

私は正直怖かった。初対面の女性とうまく会話を交わすことができるのだろうか。断られたらどういう顔をすればいいのだろうか。怖い。恥ずかしい。

いくら外面で武装していても、その中身は人目を気にして体面ばかりを取り繕っていた高校時代からなんら成長していなかった。

そのため目の前の友人に対しても弱音を吐くことはできない。面倒くさい人間だ。

そして恐怖心を気取られぬよう、大きな声でこう言った。「しょうがねーな!久々にやりますかぁ!」と。もちろんナンパなど初体験だったことは言うまでもない。

夜の街

気が付くと時計の針は深夜2時を回っていた。

我々は相変わらず2人だった。だが少なくとも私に関しては、数時間前とは別人のようになっていた。

「ウザい」「消えて」「氏ね」 ― 初対面の人間に対して言うには少々エッジが効いている言葉たち。最初こそ胸の奥の方がズキズキと傷んだが、やはり経験は人間を強くする。この時間帯にもなると、もはやどんな言葉の暴力を投げかけられても一切動じなくなっていた。

男子三日会わざれば刮目して見よ

そんな諺がある。この数時間は、私を男子から男に変えてくれたのかもしれない。

 

ところで盛岡の盛り場は狭いエリアに集中しているため、こういった行為をする際は同じ場所をグルグルと巡る必要がある。そのため1時間前に声をかけた女性たちとすれ違ったり、他の男性たちに声をかけられるところに遭遇し、目が合ってお互いバツの悪い思いをすることも当たり前だ。

逆に言うと他者から見ても、我々は明らかに「狩人」にしか見えない。

そういった行為を快く思わない人間もいる。実はこの時、いや正確に言えばもっと前からだろう、我々はあるグループに目をつけられていた。獲物を見つけるべく同じエリアを何周もする我々のことが、よっぽど気に食わなかったのだろう。ある時ふと気配を感じて後ろを振り向くと、およそ20名くらいのグループが我々の後ろを歩いてたのである。彼らの表情を見ると、皆一様に眉間にシワを寄せており、機嫌が悪そうなことは明らかだ。

そう、どうやら狩りをしているつもりが、知らぬ間に狩られる立場になっていたようだ。

ハンター

ここから次の展開までは数10秒程度あるのだが、この間に我々は考えた。どうすればこの窮地を最小限の被害で脱することができるかを。絡まれることは幾度と経験があったが、さすがに20名という大所帯は初体験だ。

不幸なことに盛岡市内の盛り場近辺には交番がない。いま思い出しても見当たらない。最寄りの警察官に助けを求めるためには、駅の方まで全力で走らなければならないのだ。しかも途中は暗く人気のない場所を通るので、運悪くそこで捕まってしまったら終わりだろう。警察に助けを求めるという案は一瞬で却下された。

2人別々に、二手に分かれて逃げるという考えもあった。だが誰かに渡さなければならない宝物を持って逃げているというわけではない。二手に分かれたところで片方に戦力を集中されて捕まるリスクが上昇するうえに、1人で2人分の被害を被る可能性の方が高い。こんなギャンブルはしたくない。

いま考えればコンビニに逃げこむなり居酒屋に逃げこむなり、いくらでもやりようはあったと思う。だがそんな頭も回らないくらい、我々は混乱していたのだ。

そして結局妙案は何も生まれぬまま数10秒が過ぎ、事態は次の展開を迎えた。

 

『おーいちょっとー』

後ろから誰かを呼ぶ声が聞こえる。誰を呼んでいるのだろう。まずは無視した。

『おめーら2人だよー!おーい!』

まさかついに?だがまだ万が一の場合もある。呼びかけには反応せずに歩みを速めた。

『シカトしてんじゃねーよォラァ!』

最初から分かってはいたが、間違いなく我々のことを呼んでいた。私の右肩スレスレを彼らが投げつけた空き缶が飛んでいったことからも、彼らが苛立っていることは確かだった。

空き缶が道路に転がり、軽く乾いた音が夜の街に響き渡る。もう無理だ。私は覚悟を決めて足を止め、後ろを振り返った。

STOP

改めて集団を見ると、人数はやはり20名ほど。年の頃は私と同じかそれより年下という風貌の男性だらけだった。ヘアスタイルは金髪や坊主頭が多く、一様にルーズな出で立ちだった。

余談だが盛岡には暴走族というものは存在しない。少なくとも私は遭遇したことがない。なぜなら道路が凍結する期間が長く危ないからだ。

その代わり、チーム的な集団が当時はいくつか存在していた。オシャレでありつつ武闘派というかつての渋谷のチームを髣髴とさせる集団もいれば、単に悪いことが好きな集団も存在していた。特に後者については実名は伏せるが、ろくでもないことをしているということは知っていた。

そしてこの時、我々の眼前にいたのは明らかに後者の部類だった。もちろん同じチームかどうかは分からない。しかし話をして通じるような輩でないことは確かだった。

 

『ナンパの調子はどうですかぁ~?』

集団の中の先頭にいた人間がこう尋ねてきた。

隣を歩いている目黒の顔をチラッと見ると、一点を凝視し血の気が引いているようだ。再び頭の中が猛回転する。どう返答するのが正解なのか。

そして一瞬の間を置き、

「全然ダメなのでもう帰るところだ」

と答えた。

その回答は、我々はナンパもできない奴らであるということ、そしてもう継続する気もなく帰宅するということ、つまり彼らの気分を害することはするつもりは無いということを示していた。

しかし彼の返答はこうだった。

『じゃあ俺らと遊びませんかぁ~?』

逃がすつもりはないらしい。

ここで金がないから/もう帰るからと拒否しても開放されないことは、彼らの態度を見ても明らかだ。もはや駅前の交番まで猛ダッシュするしかない。「駅までダッシュ!」と発して隣の目黒が瞬時に付いてこれるか?そもそも足は速かったっけ?などと考えるも、もはや時間もない。

ええい、ままよと次の行動に移ろうとしたその刹那、思いもよらぬ声が聞こえた。

驚いた顔

『あら?五反田じゃね?』

まるでモーゼの十戒の海のように、集団の真ん中が割れる。そして集団の後ろのほうから男性が現れた。声の主である。

『おめーよぅ、五反田じゃねーのかって聞いてんだけど』

その顔を見て私は驚いた。大崎(仮名)だったのである。

 

大崎とは小学1年生のころから4年生で私が転校するまで、ずっと同じクラスだった。ドラえもんでいうジャイアン的な立ち位置で、子分とともによく同級生に乱暴をしては先生に叱られていた。頭に血が上ると見境なく暴れるタイプだ。だが私はなぜか彼に好かれており、たまに家に遊びに行ったりしていたものだ。

私が転校してからは音信不通となった。だが高校に入学すると小学時代の別の友人たちとも再会し、別の高校に進学した大崎の噂を聞くこともあった。傷害で捕まったらしい、先生を殴って退学になったらしい、あるいは●●に追われているらしいだの、私には想像できないスリリングな生活を送っていることは間違いない様子だった。

― そんな大崎が、10数年ぶりに私の目の前に現れたのだ。

 

私は笑顔で近寄り、握手をしてハグをする。親密な関係であることをアピールすべく、できるだけ大げさに振る舞ってみた。

機嫌よく開放するか、あるいはさらに泥沼化するか。大崎の性格を考えると中途半端な展開は考えづらいので、先手を打った形だ。おまけに大崎は異様に足が速かったはず。逃げたら確実に捕まる。イチかバチかでこちらから近寄るしかかなったのだ。

そして結果としてこの賭けは当たった。

先程までしかめ面だった大崎の顔にも笑みがこぼれる。そして大崎は、後ろに控えるその他19名に対して

『こいつらはいいわ』

と確かに伝えた。幸いにも大崎は集団のボスのようだ。

我々がまさに九死に一生を得た瞬間だった。

助かった

大崎とは数分立ち話をした。

日中はしっかり定職に就いており、週末の夜は仲間と街をウダウダしているということ。知り合いの女性から強引なナンパ被害の話を聞き、憤っているということ。そのため明らかなナンパ目的の人間を探しては、●●しているのだということ。

まさに我々はそれに 100% 該当する行動をしていたというわけだ。失笑するしかない。

そして私も正直に話をし、迷惑をかけてすまなかったと謝罪をした。

それを聞いて大崎は笑みを浮かべ

『迷惑なんてとんでもない』

『五反田なら別にいいよ』

と言ってくれた。やった、これでついに我々は大手を振ってナンパができるようになったのだ。

その後大崎と再び握手をし、またいつか会おうと別れた。あんなに凄んでいた集団の皆さんも、最後は笑顔で手を振ってくれた。だが極限まで高まった私の鼓動はその後しばらく収まることはなかった。

 

さてめでたくナンパ認可が降りた我々のその後だが、あいにく「では気持ちも新たに仕切りなおしましょうか」と継続するくらいのメンタルは持ちあわせていない。街をウロウロすることはやめ、結局朝まで2人で居酒屋で過ごし始発で別れたのだった。

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以上が、狩るつもりが逆に狩られそうになったものの九死に一生を得た、という話の一部始終である。もう15年以上前の遠い記憶なので間違いはあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

こうした話は日本全国どこの盛り場でも起こり得る。

虎穴に入らずんば虎児を得ずという諺がある。虎子を得ようと虎穴に入るその意気やよし。だがやはり親虎に喰われて終わりになる可能性も考えなければならないのだ。

私はもう狩人はとっくの昔に卒業しているが、未だ現役の狩人たちにはぜひ留意していただきたいものだ。特に地方都市では、地元の元気な若者グループが幅を利かせているケースも多い。

特に20代前半の若者は総じてバカで、己の力を過信しがちだ。「自分は大丈夫なはず」という根拠の無い自信、それ自体はいいだろう。私だってそうだった。

だが「最悪どうなるか」という程度の心構え、そして逃走経路の確保だけは考えておいたほうがいいだろう。老婆心ながら最後にそれだけを告げて筆を置きたい。

では再見。

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