今月の頭にこんなツイートをしました。
こういうイキのいい特集はいいね! https://t.co/XGY7CYW4f7
— 五反田ひろし (@higotanda) 2015, 7月 9
ファッション誌 GINZA 8月号の見出しについてです。
GINZA はレディスファッション誌で、以前ご紹介した POPEYE と同じマガジンハウス社による雑誌。女性ファッション誌は変に男ウケに走ったり、逆に完全に意識高い系に飛びがちなんですが、GINZA はそのへんのバランスがとても良いので男性の私でもよく拝見しております。
参考▶雑誌POPEYE(ポパイ)はしばらく洋服から遠ざかってるオッサンこそ楽しめるぞ
マガジンハウスさんはいい仕事しますね。
コムデギャルソンに頭を殴られた
んで話を戻します。今回はもう “CRAZY? A GO! GO!” というキャッチで持って行かれちゃいました。これはぜひ読みたい!ということで購入しました(嫁ちゃんが)。
そしてその中で久しぶりに「ガツン」と衝撃を受けた文章があったので、取り上げちゃいます。
それがこちら。一見して Comme des Garcons(コムデギャルソン)と分かるイメージ。詳細はわかりませんが、おそらく今回の GINZA のためにブランド側が寄稿したものじゃないかと思います。
あまりにも衝撃を受けたので勢い余って書き出しちゃいます。
着やすい服を着ている時に、
あらためて洋服の事を考えることはない。
買いやすい値段のものを着ていると、
いくら自分がその対価を支払ったのかなんて忘れてしまう。
自分が本当に自由になるということは、自分の中で洋服の存在が消える時ではない。
時として違和感たっぷりの力のある洋服をまとうことで、
自分の存在を認識し、自分と社会の関係を再確認することがある。
ギリギリまで突き詰められた精神で作られているものに触れる時、
人間は心に微かな電流のようなものを感じる。
何かと戦っているものに身体が包まれる時、自分の中にあった勇気の芽生えを感じる。
服によって人間は自由になることができる。
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よく文章を1文ずつ切り取って解説するのを目にしますが、私はそういうの好きじゃないです。学校の試験じゃないんだから。そんな一文一文の意図を紐解くことよりも、表現物全体から何を感じるかということがはるかに重要だと思います。
私は本当に感動しました。こんなに信頼できるブランドは無いわ。
ミニマリズムとはこんまりイズムと一緒
話は変わり、最近ミニマリストについての論争をよく目にします。
そんな論争に参加するつもりはありませんが、私の考えるミニマリズムは「節約命の清貧暮らし」ではありません。良いもの・ときめくものにはそれなりの対価を支払い、長く使い続ける。そういうものを増やすことで自然と無駄な買い物は減っていき、自分が気に入った最低限の良質なものだけに囲まれた生活に帰結する。
つまりミニマリズムとは「行為」ではなく「マインド」です。決してモノそのものを否定するものではありません。
今回取り上げたコムデギャルソンの言葉も同じだと思います。
洋服には人を変える力があります。そういう力をもった洋服が確かに存在します。勝負服とか分かりやすい。
ただし着る側が何も意識していなければ、たとえ10万円のジャケットであったとしても単に縫製された布をまとっているにすぎません。私がジョッキーの勝負服を着たところで気合いが入るはずもありませんw
洋服にかぎらず、無意識で漫然とモノを購入しても、それはモノとして消費されるだけで私達に何ももたらしません。ある日ゴミとして捨てられるだけ。
そうではなく、自分の生活を豊かにしてくれるパートナーとして、本当に吟味して納得の行くものを見つけましょう。それを使っている自分の姿を想像してみてください。楽しそうにしていませんか?パワーをもらっていませんか?
そうした明確な意志のもと揃えられたアイテムだけに囲まれた生活こそがミニマルな生活だと私は思いますし、今回のギャルソンの言葉にも共通するものがあると感じました。
結局のところミニマリズムとはこんまりさんの片付けマインドと一緒。素晴らしいですこれ。未読の方はぜひ読んで欲しいです。
参考▶こんまりさんの『人生がときめく片づけの魔法』を実践すると確実に自分のマインドも変わる
私は「布をまとって寒さをしのぐ」のではなく「素敵な洋服を着てウキウキしたい」です。
では再見。
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