以前の記事でも触れたことがありますが、私は毎週月曜日の朝に近所の氏神さまのところへ参拝しています。
神頼みというよりも、自分の中のルーティンとして行っています。休みでダレた気分がリセットされ、「オラァ今週もやるぞ!」と気合いが入ります。オススメですよ。
ところで 1 年 52 ~ 53 週も続けていると、中には変わった人が参拝しているのを目にします。今回は最近目にしたこんな人。
異様に熱心に祈り続ける中年男性
う、中年という意味では私もか。
先客は本気のお祈りマン
彼は 40 代と思しき男性でした。刈り上げ短髪 & ダークスーツ。私の 10 メートルほど前をやや急ぎ足で歩いており、先に神社の境内へ入りました。
初詣など参拝客が大勢いるときは並んでお祈りしてもいいんでしょうけど、境内には彼と私しかいません。まぁゆっくりお祈りしなよ、と私は後で待っていることにしました。まぁ長くても 30 秒くらいっしょと。
お祈りする姿は特徴的でした。まるで目の前に神様がいるかのごとく、背中を丸めて熱心にお祈りしています。
いやはや、自分のリフレッシュのために訪れている私とは偉い違いですわ。
にしてもちょっと祈りすぎ
だがしかし・・・長い。別に急いでないからいいんだけど、それにしても長い。余裕で 1 分以上は拝み続けています。
横に並んでお祈りするという手もあります。ですが余裕を見せて後で待っていると決めた手前、これから彼の横に並ぶのはどうも格好が悪い。
ということで定番の咳払い発動。ウッウン!彼もようやく我に返ったのか、私を一瞥もすることなくサッと神社を後にしていました。
とても褒められない行動
その後私もいつもどおりにお祈りして神社を出ると、神社付近の信号のタイミングの関係で、先程の彼に追いつきました。
ですが挙動がなんだかもう。
腕時計をチラチラ見て、「あ~」と小さく声を上げて、足元は小刻みに動いていつでも走り出せる状態にあります。
子供の前で信号無視
ちなみにここはわりと大きな交差点なので、信号待ちをしている人の中には小学生くらいの子どもたちもたくさんいます。大人だったらちゃんと信号を守って渡り、子どもたちに手本を見せたいところです。
しかし彼は違いました。車側の信号が赤になるかならないかのうちの猛然とダッシュ。というには遅い、小走りなのか早歩きなのか微妙なスピードで横断歩道を渡っていきます。
(こういう中途半端なのがいちばん事故に遭いそう)
人混みを自分の都合でグイグイと
そしてこの日、横断歩道を渡った先の歩道はいつもよりも混み合っていました。すり抜けて進むにはちょっと狭いくらい。普通は少し我慢して歩みを遅くするかなというレベル。
しかし彼は違いました。人混みをスイスイ、ではなくグイグイとアタックしながら強引に前へ前へと進みます。前を歩いていいた人も「何この人!?」状態で怪訝な顔。そりゃそうだべ。
天網恢恢疎にして漏らさず
「神頼み」それ自体は自由です。好きなだけ拝めばいいですし、お守りや御札も好きなだけ買えばいいです。
しかし神頼みをするのであれば、頼まれる側=神様が自分をどう見ているのか、ということも考えるべきだと思います。
「天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかい そにしてもらさず)」という言葉があります。
天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。
神様の視点で見ても、どうせなら善い行いをする人間に目をかけたいと思うんですよ。普段から悪行三昧で、都合の良いときだけ「神様~」と泣きついてもそりゃ都合が良すぎですよね。
こんなのは俗世の煩悩に埋もれた人間だけの話です。普段の悪行はちゃーんと神様に見てられてます。
人にやさしく
今回の彼については、私も表層的な部分しか見れていません。病気のご家族をなんとかしたい一心で熱心にお祈りしていたのかもしれません。急いでいたのは私の想像もつかないような立場の人と会う約束をしていたのかもしれません。
でも、悪人とは言いませんけど、善い人ではないかなと見て感じました。
あんなに懸命に神頼みをするんなら、少しくらいは周囲に気を遣って善い行いをすべきでしょと思うわけです。
なにかを欲するなら、まずは与えることから始めましょう。そうすることで、自然と良い運気になっていきますよ。
・・・と、誰に言ってるのかわかりませんが、再見。
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