かつて自分にはある特殊能力があった。
成人まで童貞をこじらせると魔法が使えるようになる。そんな話を中学のころに聞いたことがあった。私のこの能力も同様で、独身のころは自由自在に使いこなせたものの、ライフスタイルや環境の変化とともにいつの間にか消え失せてしまった。
まるでそんな能力などはじめから存在しなかったかのように。
今回は少し昔を思い出しながら記していきたいと思う。
舞台は10数年前、20代半ばのころに遡るー。
当時私は社員寮がある関係で、埼玉県越谷市に暮らしていた。最寄り駅も越谷駅。絵に描いたような郊外ベッドタウンだが、必要な物は近所にだいたい揃っており、満員電車にさえ慣れればわりと快適な暮らしだった。
そんな越谷駅から3分ほど離れた道沿いに、小さなビデオショップがあった。
店外向けには洋画やアニメが打ち出されているが、どれも一昔二昔前の作品ばかり。どこからか流れてきたものを安価で仕入れていることは明白だ。
勘の良い方ならお分かりかと思うが、そもそもそうした真面目な作品はこうしたショップの主力ではない。表向けに健全さをアピールしているだけである。
であるなら主力の商品は何のなのか?それは聞くのも答えるのも野暮であろう。
越谷に住んで数年。もちろん店舗の存在は認識していた。しかし私は足を踏み入れたことはなかった。なぜなら自分には必要ないと思っていたからだ。
そうした作品はもちろん嫌いではなかった。だが当時の私にとってその類の作品は「人からもらうもの」以外の何ものでもなかった。「身銭を切って購入する」ことは負けでしかない。だからレンタルビデオショップでも、そうしたコーナーには足を踏み入れたことがなかった(マジです)。
だがその日は突然に訪れた。
ーあれはたしか金曜日だった。
入社して数年、仕事も覚えて楽しさも感じ始め、帰宅するのはいつも23時頃。帰宅しても食事をとって寝るだけ。そんな慌ただしい毎日だったが基本的に充実していた。
しかしその週は非常にストレスを感じることが多かった。金曜日の就業が終わると、自分としてはなんとか乗り切ったぞ!と少しばかりの達成感があった。そのまま先輩たちと軽く飲みに行き、帰宅の途についた。
先輩方と別れ越谷駅に着いたときには、時計の針は深夜0時を回っていた。このまま帰宅してもいいが、なにか物足りない。そんな心持ちになっていた。アルコールも入り少し高揚していたのだろう。
そして駅のホームから改札階へ階段を降っている最中、冒頭のビデオショップの存在を思い出した。
自分ももう大人なんだし、そういう店に入ってもいいはず。いやむしろネタにもなるから入っておかないと。別に入るだけで購入しなければ負けじゃないし。
などと自分に言い訳をしながら、私の足は自宅とは逆方向に向かっていた。しばらく感じたことのなかった心地よい胸の高鳴りとともに。
店の前に着いた。引き戸を自分で開けて店内に入る。
まず目に入ってくるのは、店外にも打ち出されていた一昔前の洋画やアニメたち。1坪もないくらいの狭いスペースに、所狭しと乱雑に並べられていた。
そんな可哀想な商品を一瞥しつつ、私はすぐに入口を探した。何?もう店に入っているじゃないかって?違う。この店の真の品揃えはまだこの奥にある。そこに至るまでは私は本質的にはまだ入店していない。
数秒後についに真の入口を発見した。狭いスペースの左奥にある、天井から吊るされたのれんが目印だった。のれんの長さは 150cm ほどあり、外からは中にいる人は見えないようになっている。
一寸立ち止まり、静かに呼吸を整える。
そして未知の世界への一歩を踏み出した。
ーのれんをくぐると、そこには異世界があった。
広さは5坪ないくらいだろうか。レンタルビデオ屋にあるものと同様のラックがおよそ10台。ほぼすべてのラックがビデオで埋め尽くされていた。1台だけは電動式のシリコン製の玩具や各種潤滑油が陳列されていたが、当時の私には少々レベルが高かった。
店内奥に目をやると、小さなカウンターがある。小さな窓が空いており、入口同様に上からのれんがかけられている。精算時にお互いに顔を合わせないようにする気配りだろう。相手の姿が見えないパチンコの換金所と例えれば分かりやすいだろうか。
またカウンターの上部には14インチ程度の大きさのモニターが設置されていた。ブルーの画面と、男女がエキサイトしている映像が交互に移り変わっている。特に規則性はないようだ。
店内には私の他に2~3名の客がいて、真剣な眼差しで物色していた。恥ずかしがる様子などなく、次々にビデオのパッケージを取り出しては表裏を確認し続けている。完全にリピーター、つまり先輩たちである。
そうした先輩たちの姿を見ていると、先程まで感じていた高揚感が徐々に収まってきた。同時にちょっとした探検気分で入店した自分を恥じた。負けるわけにはいかない。初心者であることを悟られぬように注意しつつ、先輩たちとともに物色を始めた。
しかし数分間物色した後、私は大きな誤ちに気がついてしまった。それは「目的がない」ということである。
何となく物色しているだけ。自分が何がほしいのか、何をしたいのかが自分でも分かっていないのだ。
先程までいた先輩たちも皆お目当ての作品を購入し、帰ってしまっていた。そういえば彼らは自分の趣味趣向に合った作品群にターゲットを絞り、その中からさらに深く掘っていたように見えた。
ビデオだろうが洋服だろうが、こういう姿勢でショッピングをしても良い結果は生まれない。浅はかな自らに反省を促しつつ、この日は店を出ること決めた。
だがその時だ。
最後にふとカウンターの上部のモニターを一瞥したその刹那。私の目に信じられない映像が飛び込んできた。内容はお察しいただけると幸いだ。
スタッフがうっかりセットしてしまったのだろう。その映像はすぐにブルー画面に切り替わった。だが一瞬ではあったのもの、私の両眼は確実に「それ」を捉えていた。
この店には、「それ」がある。
瞬間湯沸器のように再沸騰する高揚感。ターゲットは決まった。
とはいえビデオショップに視聴制度はない。消費者には「ジャケ買い」以外の選択肢は与えられていないのだ。つまりジャケットを見ただけで「それ」か否かを識別できる、目利きが必要とされるのだ。
ヒップホップのアナログ盤ではよくジャケ買いをしたものだが、ビデオ作品でのジャケ買いは初めてだ。傾向も対策も分からない中、一見の初心者である私にそんな目利きができるはずもない。
私は長い夜になることを覚悟した。
ーところが状況は急変する。
ふと手にとった、きょうだいの愛情を描いた作品。パッケージの表裏をさっと確認すると、私はその作品が「それ」であると直感した。
何がそうさせたのか。あるいは私自身が変わったのか。原因は分からない。
不思議と迷いはなかった。価格はたしか3,000円程度。カウンターから伸びてくる手に代金を渡す。
濃い目のカラーリングのビニール袋に入れられた作品を引き取り、家路を急ぐ。そして帰宅して30分後には、私は心の中でガッツポーズをしていた。
どうやら私は不思議な能力を身につけてしまったようだった。あるいはもともと備わっていた能力が開花したのかもしれない。もしくはスタンドが発動したのか。
いずれにせよ、作品のパッケージを見ただけで「それ」なのかどうかが分かるようになってしまったのだ。
はっきりと回数を覚えているわけではないが、その後同店で10本程度の作品を購入した。そして失敗は1回のみ。我ながら脅威の的中率である。神がかっていた、と言っても過言ではないかもしれない。
いやほとんどの作品が「それ」なのでは?
もちろんそんな疑念も生まれるだろう。しかし私の勝率を聞いた友人が同店で買い物をしたこともあったが、見事に「それ」は引き当てられずにいた。そもそも法律的な観点から見てもあり得ない。
※そのため店員に「それ」はどこにあるのかを尋ねても絶対に教えてはくれない。万が一のリスクがあるからだ。
それからしばらくの間、私は我が世の春を謳歌していた。
だが人生には転機が訪れる。数年後に越谷から都内へ転居するとともに、付近にそうしたショップもなくなった。そして彼女もでき、結婚もして、ライフスタイルや趣味趣向も大きく変わった。
また環境面でも大きく変化があった。それはブロードバンド回線が普及したことだろう。インターネット上で、誰でも無料で「それ」を閲覧することが可能になった。
そうした内的要因、あるいは環境変化により、上述してきたようなショップへ足を踏み入れることはもはやなくなった。それと時を同じくして、私の能力も消え失せた。
いまもまだあのショップはあるのだろうか?若い男性の草食化が進み、そもそもビデオや DVD の販売というビジネスモデル自体が厳しい昨今、あのショップだけではなく日本中のショップが厳しい状況にあることは想像に難くない。
時は誰に加勢することなく、淡々と無慈悲に過ぎていく。
しかし私はいまでもこう考える。
自分や環境が変わったのではない。あの時、あの期間だけが特別だったのだ。
夢を持ち仕事に没頭していた若かりし私への、神様からのささやかなギフトだった、のだと。
もしかしたら、いま夢に向かって邁進しているあなたにも、神様からのギフトが贈られているのかもしれない。もしもそれに気がついたら、神様に感謝しつつぞんぶんに楽しむことをお勧めしたい。 いまのあなたにだけ与えられている能力なのかもしれないのだから。
アダルトサイトの騙しリンクを見破る不思議な能力があるとかね(›´ω`‹ )
・・・では再見。
コメント